day25 またメディアにハックされてしまった!

29歳になって25日目。

6月になって一回も更新していなかったみたいですね。はい。

 

転職活動で2つ3つ書類選考通過しました。

学歴だけはある方なので、

書類は通りやすいのかもしれませんね。不思議。

 

体調はというと、

回復したかに思えたのにまた頭が働かなくなりました。

病院に行ってからは1か月以上たっているのに、

いっきにふらついて何も考えられなくなる日が続きました。

 

生活リズムがガラッと変わったわけでも、

外からの刺激が強くなったわけでもないのですが、

夕方とか、下手すると昼過ぎには眠くなってしまう。

 

まだ完全に回復したわけでもないのかもしれないし、

そもそも完全に治ることはもうないのかもしれない。

 

それでも続いているのがですね、

筋トレストレッチと読書と英会話。

 

やっぱり当たり前ですが楽しいと思えるものは続きますね。

ただ、反省としては、

それらが終わるとYouTubeを垂れ流しで見てしまっていたこと。

 

YouTube自体は悪とも全く思っていないのですが、

問題は見たコンテンツを何にも覚えちゃいないってこと。。

 

それよりも、

筋トレとか読書とか、

ちゃんと主体的にやろうとしていることを覚えている。

 

コンテンツの内容がどうこうというよりも、

過ごした時間が無になっている感じがすごくて、

とても無駄にしてしまったと後悔している。

多分これ、遅くとも皆さん大学生の時には思うことなのだろうけれど、

情けない話、齢29にして反省しているのでございます。

 

なので、やめます。

YouTubeは無目的に見ない。

見るときはちゃんと目的と時間を決めてみる。

(幼稚園児みたいですね。。)

 

で、

どうせなら、記憶に残るものをやりたいので、

無駄にしていた時間で何をしたいかを考えてみる。

 

これまで読んできた本で

忘れてしまっていることも多いから、

再読してみようかな

day17 人生やめた!と思ったら始まりそうな予感がした

29歳になって17日目。

 

 

これまでの人生を少し振り返ってみた。

(ようやく自分を見つめられるようになって少し安心。)

 

失敗ばかりで情けないことが多かったけれど、

自分なりの成功をした時もあった。

 

その違いは何だっただろう。

グーっと考えてみたら、1つ見えてきた。

それは、

自分で納得して目標設定していること。

 

最大のパフォーマンスを出している時はいつも

自分でゴール設定をしていた。

 

逆に、最大限努力しているのに歯車が合わないときはいつも

他人の目を気にして目標設定している時だった。

 

おそらく自分で目標設定している時は

その達成に視点が向いているから、

それまでのギャップを細かく観察したり、

そのギャップを埋めるにはどうすればいいかを考えるのに

エネルギーを注げられていて、

反対に他人の目を気にしている時は、

目標達成ではなく他人の目を満たすのにどうしても神経を使うから、

努力しているように見えて実は目標達成には向かっていない、

ってことがあったのだと思う。

 

だから、やめた!

そういう、周りの目を気にする人生はやめた!

(他人の目を気にする人生をやめたときにパフォーマンス最大化するって

自分の人生で証明しているのに、

なぜ僕はそういう人生を選んでしまっていたのだろう。。)

 

そう考えると、

とてもリラックスできるようになった。

やりたいことが湧いてくるようになった。

そもそも

自分にとって何が成功なのか、とか

何をもってそれを測るのか、とか

そういうことも考えられていないって、

何にもわかっちゃいないんだなーって、

自然に思えるようになった。

そこもひっくるめて

ゆっくり探していこうと思った。

 

29歳17日目、人生、やめます宣言。

day16 ニュースの要約を始めてみようかな

転職先どうしようか、

求人みたり、"自己分析"したりして考えてみました。

 

選択の自由がない、納得のできない働き方を変えたいとか、

教育の在り方を変えたいとか、

色々まぁ高尚っぽいことを考えてみたり、

残業少ないところで働きたいとか、

年収高いところがいいとか

自分都合のことを考えてみたりしたけれど、

結局

自分にとって数字を出しやすいところ

が一番いいのではないかと、

ブルーオーシャンかつ自分が苦じゃない職

がいいんじゃないかと思ったんですね。

結局自分が勝てるところであれば興味なくても続けられるし、

勝てないところじゃどれだけ自分が好きでも続けられない。

 

じゃぁどこが戦場としていいかって考えたけれど、

これがやっぱり恥ずかしながら、

今の世の中をなんともわかっていないことに気づきました。

世間で何が問題視されていて、

何が求められているのかなんて、

ぜーんぜん理解しちゃいない。

 

働き方改革だって、

ようやくwell-being経営なるものがあるって調べて知ったし、

教育だって

詰め込み式からの脱却は進みつつあるってことも知らなかった。

 

ブラックで仕事しかしてなくて、

周りが全く見えておらず、

目の前を何とかこなしてきた結果、

残ったのは世間知らずな兵士、しかも半人前。

 

冷静にまずいでしょ。

29歳になって変わりたいと思って過ごしていると、

どんどん自分の恥ずかしいことが浮き彫りになってきてますね。

 

てことで、

ニュース、読みます。

で、

どうせ読むって言っても続かないので、

要約して文字にするようにします。

 

・・・

課題が多すぎてやることが多いのだけど、

・英語をビジネスレベルまで上げる

・60kgになるまで筋トレする

・開脚できるまでストレッチする

・最低1つニュースを要約する

・言葉を持つために小説を読む

 

やってみよう。

かがみの孤城

読み終えた感想文です。

上下巻、面白くて2日で読み切ってしまいました。

 

様々な事情で不登校になった男女7名が

かがみの中にある孤城に集まって

1つだけ願いをかなえられるというカギを探す、

その過程で参加者達の不登校になった背景や想いや、

選ばれた共有因子が明らかになっていく、

といった物語。

 

物語の構成とかも自分としては好きなのですが、

何といっても辻村深月さんの作品でやっぱり好きなのは

言葉の表現ですね。

 

自分は不登校ではないにしても、

退職して転職先がない、

しかも29歳病気もちという

人生外れちゃった感あり未来に絶望感ある自分は

とても自己投影しやすかったといいますか、

何か自分が救われるような言葉はないかって

思いながら読み進めていた気がします。

 

そんな中、

自分がこれからも忘れないだろうなと思ったのが、

フリースクールの先生が主人公(こころ)の話を聞いた後のシーン。

 

「『こころちゃんが頑張ってるの、お母さんも私も、わかってる。闘わないで、自分のしたいことだけ考えてみて。もう闘わなくていいよ』

(中略)

自分がしたいことだけ、と言われても、こころは自分が何をしたいのかわからない。

けれど、闘わなくてもいい、なんて考えがあることそのものに全身を包み込まれるほどの安堵を感じた。」

 

自分も今もよく言われるのですが、

ゆっくりしていい、

お前の好きにすればいい

って言葉。

愛情で、優しさで言ってくれていると思うのです。

ただ、

やりたいことなんて特にないし、

そういってくれる人がいる、環境があることにとても感謝しているけれど、

それでも何もしたくない自分は申し訳ないって感じちゃっていたんですね。

 

けれど、闘わなくていいって言葉では、

何かをするにしてもしないにしても

自分の心が傷つくことは避けてもいいし、

無理する必要はないって言われているような気がしました。

闘わなくてもいいんだって思ったとたん

全身の緊張がほぐれたのを今でも覚えています。

 

直接的に

好きなことをしてもいい

って言ってくれる人も想いとしては同じな気がするけれど、

闘わなくてもいい、

の方が自分としては安心できるし勇気づけられると思ったし、

なんだか自分が救われたような気がしました。

 

思っていても思っている通りに言葉が伝わらないことの方がほとんどな気がするけれど、

やっぱり言葉の力ってすごくて、

こういう本当の意味で人に寄り添う言葉を使えるようになりたい、

と改めて感じ、こころが救われた小説でした。

day12-15 自分個人の転職の軸について考えてみた

29歳になって15日目。

英会話の習慣ができていない日が目立つようになってしまった。

楽しむ気持ちが少し薄れてしまい、億劫になってしまったので修正する。

あとは、もう時間とかずっと固定にするとか、仕組み化しちゃいたい。

 

退職と引っ越しの手続きを行う。

やっぱり慣れてないことをやろうとすると大変ね。

自分がどの手続きをとるべきか、から調べないといけないから、当たり前だけど。

 

で、

実際に生活をしなければいけないわけで

転職活動もしなければいけないわけですね。

 

あまりこれがやりたい!ってのはないんだけれど、

前の職場のようなところは絶対いや!ってのはある。

・心の中では微妙と思う商材を売らなければならないケースがあまりに多い

・論理ではなく感情が優先される

・15時間労働、週6日勤務がデフォ

・気に入られているか否かで人事評価が変わる

 

そこで自分が冷静に意見を言えるような能力も勇気もあればよかったけれど、

そこまでを持ち合わせていなかったのでしょうがないのですが、

健康を害する働き方はやっぱりしたくないのです。

エージェントの方にはそんなところないと再三言われているのですが。

 

そうなってくると、

会社の特徴として提供する財・サービスの

市場規模が大きいこと、

市場成長率が高いこと、

競争優位性があること、

模倣困難性があること、(独自の技術なり参入障壁なり)

はやっぱり教科書通り重要で、そこに自分の強みが生かせればいいってことか。

あかん、ここにきてニュース見てなかったのが痛手だ。

ニュースなんて見る気力がなかったから、という言い訳はやめて、

ちゃんと見るようにしよう。。

 

強み・・・

色々やったことはあるから実績で固めてしまおう。

人と比べて優れているなんてそうそう思わないけれど、

(私の強みは、とか言えちゃう人ってすごいよね)

これをやりました、なら言える気がする。

 

あとは、、思いとか?

搾取されている人が減ればいいし、

納得して働く人が増えればいいと思うけれど、

いっぱいアプローチありそう。

 

ちらっと調べてみると、

働き方改革の一環として

健康経営なる言葉があるらしい。

ピンとくるものなんてあまりないし、

あってもすぐに変わってしまうけれど、

ちょっと興味あるから調べてみようかな。

day11 押すなよは押すなよ理論

どこの国でも「あえて」とか「皮肉」て文化あると思うけれど、日本は世界でも有数だ。

 

手が綺麗ですね、は苦労してないですね、だし

ぶぶ漬けおあがりますか、は早く帰れや、だし

押すなよ押すなよ、は押せよだし。

 

文脈や感情を読み取って、

意味合いを読み取らなければ恥をかく文化がある。

 

これがうつだと本当にきつい。

相手が善意で話してたり、あるいは特に考えてなかったとしても

本当はこう言う意味じゃないか、

どうせこう思ってるんじゃないか、

と、マイナスな方に勘繰ってしまう。

 

だから、

いくら周りがどう声がけしようと、

本人にはマイナスに聞こえてしまう。

 

大丈夫だって言われても、

ゆっくりしてもいいって言われても、

どうしても迷惑かけてすいませんと思ってしまう。

 

だから

本人に対してできることって

十分に寝たり食べれたりできる環境をつくるだけで、

本人もできることはそれに甘えて食っちゃ寝を繰り返して、

まずは目の前を目の前として見れるようにする

てことだけなのかもしれない

 

って、

怠惰な生活をしている自分を正当化してみる。

 

ストレートに受け取るべき時もあれば

裏で受け取るべき時もあって、

それがユーモアでありエロスであり人間味で、

それがわからんのはつまらん人間て、

そんなこと言わんでくれ!

と若者の遠吠えのようなことを考えた29歳11日目。